私にはイケメンンの(神?)がついているのかな?
大親友だったハスキー犬ルナの死後ますますエスカレートしていく両親との不仲で、
2年前から家を出る覚悟で始めた引っ越し準備がやっと終わろうとしている。
はじめはここを片付けるのに10年はかかるなと悩んでいたけど、
ふと声がして「細かく分類するのはどうかな?」声がするの。
誰?と思って考えていたら東京の郵便局の夏冬の短期のバイトで、
いつもそばにいて仲良くしてくれたり守ってくれていた男の子たちの一人だった。
私が知っている彼とはずいぶんと変わってしまったものの、
そういえばこういう子がいたなと10年ぶりに思い出したよ。
そういえば東京にいたとき大好きなアニメのテーマソングを歌っていた、
ナイトメアを夢中で応援していたなぁ。
久しぶりにナイトメアをyoutube.で検索したら、、
「あ~‼☆」新東京郵便局で仲良くしてくれていた男の子たちだった!
この子は胸を上手に使うなと思っていたら、
品川のヒップホップ教室で見つけた、
私から見てこの子うまいなと思った子だったの。
うまいのにいつの間にかぱたりと来なくなったと思っていたら・・・
そんなことで忘れていた感覚が一気に戻ってきたなぁ。
今はこの子たちが守りの神だったり収納の神だったり、
心を通じて何かとアドバイスしてくる存在。
こちらのダンス教室に久しぶりに通ったら、
東京であれほど訓練した胸の筋肉が、
全く動かなくなっていて大ショックを受けていたら、
その中の一人?がこうだよと言ってきたと思ったら、
勝手に体が動き出してびっくりしたけど、
そのおかげでダンスの感覚が戻ってきて、
それを見ていた先生も嬉しくなって急に元気になったっけ。
静岡の生活があまりにも辛いというか、
両親に東京ではこういうのが流行っているよと話すと、
「何を言っているかわからないんだ‼」と、
毎日のように怒鳴られまくる毎日があまりにも苦しくて、
かなり強く「東京での思い出をすべて消してくれ」と、
念じたのでそれ以来東京を思い出すことは全くなくなった。
ものすごいエネルギーで私を引き留めようとする男の子もいたけど、
家賃をもう払ってやるお金がないと父に言われて、
泣く泣く静岡に帰らざるを得なかった。
地元に帰るまでには両親が東京のマンションに押しかけてきて、
危険を感じてドアのカギをかけてトイレに逃げ込んでカギをかけたら、
どうなったと思う?母が窓の外のフェンスを飛び越えて、
窓をこじ開けて飛び込んできたよ!
ちょうど体調不良で寝たきり状態だったから恐ろしくてたまらなかった。
結局母につかまり連れ出されたあげく、
静岡に帰る帰らないと父と押し問答に。
父は怒って先に静岡に帰ってしまったけど、
母は私を執念で捕まえようとしてきたよ。
どうしても帰りたくなかった私は、
母から逃げようと品川の知っている場所を目指して逃げ回った。
母は寒さが厳しい3月なのにシャツ1枚で、
私を捕まえようと必死に追いかけてきた。
意外と体力あるんだと恐ろしく感じたよ。
結局母と食事をすることになりまた捕まった私。
レストランでのんびりとできると思っていたら、
母は私が手に負えないからと消防に連絡。
色々と事情聴取された後「まともな事を言っているね」と言われ、
消防にこの子を無理やり連行することはできないと結論を出した。
そのあと母は警察に連絡して私を捕まえてほしいと依頼。
また事情徴収された後「この子はまともな事を言っているけど、
あの人(母)毒を含んだような眼だ」と、
警察は私を守るようにして囲ってくれた。
、
それを母は「警察もあなたを頭がおかしいね」と言っていたわよと、
毎日のように言われ続けるしタイミングから考えると、
仲の良かった男の子たちから無理やり引き離そうとしているようにも感じる。
結局警察は私を母に渡し警察のご厚意で、
パトカーで静岡駅まで送ってもらうことになったよ。
その後何回か東京に荷物をまとめに戻った後、
親の都合で精神薬づけの生活が始まった。
きっと口答えさせないためだったんだなと今は思うの。
精神薬を飲むと頭がぼ~として、
自分で考えて行動することが全くできず、
「こんんなの自分じゃないと」言っても、
父が病院についてきては薬を飲んでから、
おとなしくなりました」と満面の笑み。
母なんか長期入院させられた時、
笑顔で「もっと長く入院していればいいのに」という。
今は長期の薬の服用と思われる足の激痛が治らなかったので、
通院と服薬をやめてみたら足の激痛はすっかり治ったよ。
でも父は私を一生障碍者にして、
障碍者手当や生活保護をもらうため、
病院には通って薬は飲まなくていいというけど、
それって本当の幸せではないでしょというとまたけんかになる。
でもなぁやりたい仕事も全然ないし、
合わない仕事を無理にしてきて何度も身体を壊しtて来たからなぁ。
趣味を仕事にできればと思うけど、
母はそんな人一握りだからと言われる。
そのくせ私の趣味のダンスをどれだけ母に、
「そんなブヨブヨの体だしあんたはダンスをやるべきではない」とさんざん言われてきた。
きれいで若くてほっそりとした人こそやるべきだと・・・
そういう母は体重のわりにお腹がぶよぶよで社交ダンス命って感じだったからね。
でも欲求をこれ以上抑えられなくなって、
無理やり約10年ぶりのダンス教室(ズンバ)に参加。
やってみると元気な男性の講師と同じくらいのスピードで、
ダンスができているじゃんと母の言葉にどれだけ傷つけられてきたかに気づく。
今はマイケルジャクソンやラテンの女王と思う、
シャキーラの動画を毎日何時間も観ながら脳トレ中。
そのおかげなのか胸も腰も足も自由に動いてくれる。
ただ近くに練習できるスぺ―スがない。
今思い返すと無理やり静岡に帰されるちょっと前、
新東京郵便局でこの子たちとすっかり仲良くなっていた頃だし・・・
両親はロックが大嫌いっだし母もロッカーは遊び人という、
強い固定観念を持っていて私が何気にバンドマンの優しい人が何人もいると話すと、
すぐ「あんた遊ばれているのよ」という。
「でもいつも向こうから寄ってくるんだよ」というと、
母はものすごい形相でにらんでくる。
そんな時母が選んだルナがきて東京での思い出は完全に消えたのだった。
でもルナに会うために静岡に来たんだ!って思うと、
ルナとの出会いに感謝するばかりです。
殺処分寸前だったのか私と出会う前の日に、
大幅に価格が下げられたと店員さんがびっくりした表情で言ったよ。
そういうこともあり「この子がいい人生だったなと思えるような思い出を、
私がたくさん作ってあげよう」と決意してルナとの幸せな生活が始まったのだった。