My Life ....My Happy♥!

ちょとした事の中にも喜びを見つけられる自分になりたいな。

いつの間にか変わっていた思い出の風景

今日も暖かい1日。


梅もまだ咲いていないし写真を撮る意欲も出ない。


とりあえず外に出たいモードだったので、
ぶらっと草薙神社を後、
久しぶりに畑に行ってみてびっくりだよ!



橋の上からいつも眺めていた滝の水量が、
ものすごく減っていたし今までたっぷりと水があった場所が、
岩肌がむき出しになっているし大好きだった緑が枯れ葉ばかりになっている!


確かここにあれがあった・・・・と思ったものが消えていたり・・・


そんなルナとの思い出を巡らせながら、
のんびりとすごしたものの、
あまりの変化に寂しさがこみあげてきたよ。




ここはルナとよく歩いた場所なのに、
いつの間にか寂しい風景に変わっていて、
もしルナが生きていたとしても、
毎日ルナを川で遊ばせることができないと思うと、
かえってルナに過酷な生活をさせてしまっていたかもしれないとも思ったよ。



ついでに畑のすぐそばの土手にも行ってみたんだけど、
ルナと駆け下りた土手だったけどすっかり草がぼうぼうで、
土手を駆け下りるどころか入ることも全くできなくなっていた。



ここでルナと寝ころんで風景を眺めていた場所はもうなかった。



わずか3年でこんなに風景が変わっていたなんて、
想像もしなかったので信じられなかったよ。



何気に草薙神社を散歩したら、
ずっと見て来た口を清める聖水?があった場所に水はなく、
真っ白な石と大小様々のビーズが置いてあった。


きれいだけどどこか悲しい雰囲気を漂わせている。


隣には除菌スプレーがあり時代の流れていくのを感じずにはいられなかった。



半径2K以内の距離でここまで変わってしまった風景を見て、
私とルナが住める場所はもうないなと思うと、
とても悲しくてしかたがなかった。




でも畑のビワの木にたくさんんの実がついていたので、
今年はたくさんのビワが食べられるなと思うとすごく楽しみ~!



3月になるとサクランボの花が咲いて、
ここでみんなでお弁当を食べるのが、
わが家の恒例行事となっていたっけ。



ルナの分もソーセージと卵焼きを焼いてもらってね。


今は家庭環境が最悪の状態で自由にあれこれできないけど、
家族にとってつかの間の癒しになればと思っているところ。



精神が過敏な私なのに家庭環境を良くしようともおもっていない家庭で、
いくら強い睡眠薬をたくさん飲んだとしても、
精神状態は良くなることはないなというのが両親にはわからない。


そういえばわりかしこの辺には、
古い常識で凝り固まった人がわりかし多いので、
両親にしてみれば一つの社会で上手に生きて来たじゃないかと思う、
強い自信が満ち溢れているのだろう。



そういうわたしはずとこういう考えはおかしいと、
強く思いながら生きてきたので、
気が付けばさんざん上司や両親にお前はわがままだ!と、
言われ続けてきたことが今は当然のことのように常識になっている。


そのことを母に説明しようとしたらまたつっかかられたよ。


こういう親だけを見れば辛いけど、
近所の人を見ても親よりず~っと私を理解してくれているよ。




いいものをいいと認め合うのが人の美しい部分と思うんだけど、
特に父はわざとでしょと思うくらい私の趣味をけちょんけちょんにけなしてくる。




そういう父も先日悪いと診断された心臓が、
更に悪化していて右心房と左心房を手術しないと、
完治は難しいと言われたようで少し元気がないけど、
本人はお金がないから手術はしないと決めているようです。




母は「父が死んだら生きていけないから私も死ぬから」と言いうくらい、
気が動転気味ではあるけど私からすると今まで父の健康のためにと思って、
こうした方がいいよとさんざん言ってもことごとく否定してきたことを思うと、
「お父さん長生きしてね」とはとても思わないし言えないよ。


やっぱりねと思う気持ちの方が強い。


ここで人生の最後くらい世の中のためにと、
ボランティア活動や募金をして社会に貢献しようと思うことで、
社会からも守られる存在になっていくことも多いものだけど、
これまでの父の態度や言動。モラルを考えると、
よっぽど心を入れ替えない限りりいい人生わ送れないなとは思うけどね。




でもこれを言ったら私の命が危ないなと思うくらい、
父は人の心を踏みにじり場合によっては暴力ををふるってくる可能性が高い。


あとは神様にちょっとでも慈悲と慈愛ががあれば、
どう動くだろうと思ってはみるけど、
私がどうこう心配すればするほど時間が無駄に思えてくる。





私が今までいた会社でもこれに近いタイプはいたけど、
なんというか人の失敗やf不幸をさらに叩きのめすのが楽しいみたいで。


例えば不幸な事故で亡くなった人に供えられた花を、
ニコニコしながら「今度みんなで花をもらいに行こうぜ」とか、
イスラム過激派アルカイダが世界を恐怖に陥れていた時に、
ちょうど単身赴任していたマレーシアの空港が、
アルカイダの建物だったと知った時、
さんざん会社からもすぐに日本に戻るようんと言われたのにも関わらず、
父はこの時と言わんばかりに「もっとスリルを楽しみたいと」、
毎日とは言わないでもしょっちゅう空港の近くの建物の目の前に来てては、
空想を巡らせていたと楽しそうに話していたっけ。



私は仕事が手につかないくらい震えていたというのに・・・



幸い襲撃は免れたものの人がどれほど心配したかがわからない。




いつも思うんだけど一見優しそうに見える父の目ってさ昔から、
なんかこう危機感とか五感を働かせてという鋭さが全くないというか、
視線がどこにあるのかと思うくらいぼ~としているように見えるの。





だから海岸でゴミが山積している場所をルナが通ろうとしても、
知らんぷりというか自由にさせることをモットーだみたいな感じで。



私がルナにしつけていると「しつけなんかするな‼」と、
ものすごい形相で私を怒鳴りつけてきた。


寒いからと私がルナのブランケットにカイロを貼ってやると、
「犬にカイロなんかいらない!」と怒鳴りまくの。


そのくせ猫には湯たんぽを毎日してやるの。



今もそうだけど猫のお水に虫がたくさん入り込んでも、
一向に水を替えてやらないので見かねて母がいつも水を替える。


それに対してのありがとうの一言も言わないし、
それに対して振り向いたりニコリとすることも全くない。





母は「あの人は感情を面に出さないけど根は優しい人よ」というけど、
私にはどうしてもそうは思えない。


面に出さないというかそもそもそういう感覚がないんじゃないのとさえ思えてくる。



母は「いつもあなたがお父さんに優しくしてあげて」という。




私が家庭の空気を悪くしているとでも思っているのかねっ!?



まぁ古くからある許しあえることが大事という考えを母はモットーに?しているのか、
私には母がこれを言わないから人との関係がぎくしゃくするんでしょと思えることさえも、
母は言わないことで人間関係を崩さないようにしているとしか思えない。


歴史を振り返ると一人の人が社会の矛盾を命がけで訴えて、
1人が二人と広がっていき人としての権利を勝ち取ってきたということを、
母に一生懸命に説明してもそれが母にはわからないように感じる。




たびたびこういう内容の濃い話をするとキレるか無視する母。




こういう大事な事を説明すればするほどキレるの。


で私は人の欠点ばかり攻撃するからと母に言われ、
「あんたは攻撃的だから人から嫌われるのよ!」と怒られる。



「こういう人がいるからどんどん強くさせられたんでしょ!」と言いたいところだけどね。

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