My Life ....My Happy♥!

ちょとした事の中にも喜びを見つけられる自分になりたいな。

もうここでの生活は無理だと判断して福祉事業協会に相談に行くことに!

命の危機を思わせる父の暴力の後福祉事業協会の方とメール相談しながら、
直接福祉事業協会事務局に行って相談することになったよ。



相談の結果によっては施設などにかくまてもらうかもしれないけど、
とりあえず相談にのってくれるところが見つかり一安心。


犠牲者と言う意味では母もかなりやられてきたので、
事実を更に事実として確信を持たせるために母にも同行してもらおうと思っているけど、
連日のこの暑さなので母が同行するのを拒否するかもしれないけど。
今のところ相談に一緒に行くことに同意はしてくれているよ。


なにしろ涼しい時間が深夜から早朝に限られてしまうので、
どこにも行きたくないのが本音ではあるけど、
自宅以外にゆっくりと眠れる場所がないので、
結局環境も家族も地獄の自宅に帰らざるを得ないのが苦しい。



私はまだクーラーとミニ冷蔵庫があるだけマシだけど、
母の場合クーラーを新しく設置する工事も不可能で、
父には電気代がかさむからクーラーはつけるなと怒鳴られるし、
付けてもいいとしても後でクーラーのせいで電気代がすごく高くなっていると、
ものすごいけんまくで怒鳴りつけられると思うとそうつけれるものではない。



さっき母と相談して暑さを避ける意味でも、
1本早いバスに乗って草薙駅の前のローソンで朝食を食べて、
早めに福祉事務所に行って予約時間まで涼みながら過ごそうか?と提案したら、
意外と快く承諾してくれたのでこのままいい方向にいくといいな。



帰りにエスパルスドリームプラザに行ってBell’s Meatでランチできればいいな・・・




いつも私が外で食べてきたと言うとうらやましそうにしている母だから・・・




とにかく父が買ってくる食材のほとんどが口に合わず、
他に食べれるものと言うとラーメンかカレーかパンしかない。



野菜は母が大好きなキャベツだけの日がほとんど。



それでも少しずつ買い物が上手にできるようにはなったけどね。



あと私が父にあててメモで「自分が使った食器と汚した服は自分で洗う事」と書いたら、
意外や意外その通りに実践しているようで父が使っていた物が片付いているではないか❓❓


それを誰にも言おうとしないのが父の難しいところ。



何かやってもらったとしても黙ってそこら辺に無造作に放置しているので、
やってくれたんだと私が気がついてあげないといけない。



私はこういううじうじした性格が大っ嫌いなの!



母が良く父を女が腐ったようなような性格と言うけど、
どういう女性かは私の想像ではすぐいじける人?かな?



自分をとにかく1番に考えてくれないと不機嫌になり、
ずっと誰も自分にかまってくれないのが続くと、
我慢の限界に達してブチ切れて怒鳴りつけたり暴力を振るうのだと思う。



冗談じゃないっ‼と私なんかはブチ切れて、
わざと「誰がそうするもんかっ‼」と思う性格なので、
一緒に生活する事がものすごいストレスになっている。



人の命よりお金が優先の人だから糖尿病の治療も、
結局は治療費が高すぎだから〇〇内科医院の治療費は、
一切出さないからなっ‼と怒鳴られたのでずっと通院はできていないけど、
時々に乳酸菌ドリンクを飲んではリスクを抑える努力はしているよ。


数値は平均より少し高い程度なので私もずっと通院をするのは止めたかったのも事実。



何かと歩く機会が多いので歩いてポイ活のアプリを見てはびっくりさせられる。




ああ今日もけんかが全くなくというより、
父を避けて生活した事が正解だったなと思った1日でした。



母から見て最近の父は寂しそうで元気がないと思うみたいだけど、
こういう性格なので自分から話しかける事はまずないので、
私が話しかけてあげなさいと言うんだけど、
私の悲しみは底が見えないブラックホールのように深く、
そう簡単に這い上がれるものではない・・・



ただこういう苦しみを和らげてくれるロックや、
ブログで思ったことを書いて吐き出すことが、
自分にとって何よりの癒しになっているの。



あとはTOSHIくんのブログを読んではぷっと笑ってしまうほど、
X JAPANの頃の激しくて強いイメージのTOSHITととはかけ離れている、
ブログの中のTOSHIくんが傷だらけの私の心を癒してくれるの。


YOSHIKIはファンの間ではよっちゃんと呼ばれているんだけど、
そういえばYOSHIKIは千葉県出身だったよね?



私が幼い頃住んでいた八幡でいつも優しくしてくれたお兄さんがよっちゃんだったの。



急に一方的な父の身勝手な都合で急きょ引っ越しをさせられ、
そのよっちゃんというお兄さんに最後のあいさつもさせてもらえないまま離れる事になり、
車を走らせた時よっちゃんが猛スピードで走ってきてかなり怒って、
「俺に黙って引っ越しするのかっ‼」と走り出した車に飛び乗って、
後部座席のバンパーに飛び乗って後部座席の窓から大声で何かを叫んでいた。


それを見た父は彼をわざと振り払うように車を急発進させた。



よっちゃんは車から振り落とされた。


あまりにもひどいと怒った私は走っている車のロックをガタガタと必死に開けようとした。


だってそのよっちゃんと言うのがお金持ちで、
おいしい物をたくさん食べれるしかわいい洋服をいっぱい買ってあげると言うから、
だったら私こっちのほうがいいと思って本気で車から飛び降りようとしたんだもん。



よっちゃんとはよくままごとをしたんだけど、
いつも女の子の方がごはんを出すことにうんざりしていた私は、
たまには男性が女性にご飯を出してほしいと言ったら、
そのよっちゃんは私にご飯をよそうしぐさをしてくれたっけ。



なかなか抜けられない長い長い地獄の日々を思うと、
あの時そのよっちゃんという兄さんについていっていたら、
今頃どんな裕福な生活をしていたのだろう?と妄想はしてみるが・・・


それにさそのよっちゃんというお兄さんは、
父の乱暴な運転で地面に叩きつけられたのだけど、
悔しそうに立ち上がると私が見つめる車めがけて、
サッカーボールをものすごい勢いでシュートして、
「有名になったら君と結婚する!」と大声で叫んだけど、
のんきな私はもう結婚の事を考えているの?気が早いんだから」と笑ってかわした。



まだ9歳くらいだしよっちゃんは14歳くらいだったし・・・



あれ以来全く会う事も思い出すこともなかったな。




なぜここで思い出したのかはよくわからないけど、
私が人間恐怖症で16歳の時母が良く当たる催眠療法で、
「この人誰?」と聞かれた私は「わかりません」と答えた。


その少年はとても瞳がキラキラしていてた。



それでさぁその催眠療法のおじいさんったら馬鹿じゃんと思うくらい、
人相が不気味で不潔なにおいがしてとても信用できる人ではないんだけど、
「俺とはうまくいく」と言うんだよ。


「ゲゲゲっ‼」って感じでこの人以外は合わないんだと、
乙女の私は大ショックで泣けてきたけど、
そのおじいさんはこう言っ答えを出した。



「このひときわ輝く星が君だ
そしてこの大きな星がその相手だ
その人だったらうまくいくが君と合う相手はこの人一人しかいない」


「ふ~ん」と他人事のように思っていたら、
「おっ!よく見ると小さな星が5つある
その人は気が強そうなのでどちらかというと、
この5つの星の中のだれかとの方がうまくいく気がする」と言い出し、
思ってもいなかった大どんでん返しにこけそうになった。



どこが催眠療法なの?と怒れてもくるが、
そのすっかり忘れていた甘い記憶がよみがえったのがちょっと嬉しい。



その5人って誰なのかなぁ?・・・



まぁ私のそばにそんなにボーイフレンドなんかいない!と思って生きてはきたけど、
強いて言うなら新東京時代に仲が良かったデビュー間もないナイトメアのメンバーかな?



みんな頭がよくて優しい子で、
会話をしていてもまず突っかかりを全く感じない。



どちらかというと自分は男性じゃないかと思うくらい、
緊張や価値観の違いによる違和感を感じる事が全くない。



それも10も離れている子たちだから、
ここまで気が合うとは思ってはいなかったけど・・・



\まさか私がドはまりしたナイトメアがすぐそこにいるとは思わなかったけど、
youtubeを観まくっているうちにそういえばこんな子が〇〇課にいたっけ?とか?
最近ぴたりと顔を見せなくなったなと思っていたら、
郵便局の人が「彼バンドをやっていて、
youtUbeで世界で人気で」と教えてくれた。


仲が良かった子たちだったのでそれはそれは嬉しかったよ。



急きょ両親に強制的に静岡に連行されてからは、
あまりにも苦しいので東京の記憶を無理やり消したと同時に、
大好きだったナイトメアの記憶もすべて消えていった。



今改めてXJAPANとその弟分のナイトメアの詩の深さに自分の人生を重ねては、
私の人生の体験と酷似しているなと思うのが癒しになっている?かな。



こう書くと熱烈なファンに怒られそうだけど、
Twitterなどを見ていると決して遠い存在ではないんだなと、
自己満足しつつこれからの活躍を見守っていきたいなと思ったよ



日本中どこも連日33℃を裕に超えて避暑と呼べる場所が全くないけど、
沖縄の方が涼しいと言うのがちょっと理解できないっ!



北海道より沖縄の方が2℃も涼しい?



あ~あいっそうの事海外に逃げたい!



そういうTOSHIは世界中がこんなに暑いのに、
わざわざタンザニアまでプライベートで行って、
何考えているんだろう?と思ったけど、
海外の方が日本より湿度がだいぶ低いのには驚いたよ。



もつい逃げるのはあの国この国と妄想しない日はないが、
ニューヨークやロサンゼルスは日中こそ40℃前後の日があるけど、
夜間は15℃を切る日も当たり前のように多くて、
まさに冬って感じでうらやましくもなるが、
日中と夜間の温度差が20℃くらいあるので、
うかうかしていると病気になりそう。



昼はクーラーをガンガン夜は暖房ってちょっとやばいっしょ?



日本では夜になってもなかなか30℃を切らないので、
信じられない世界だけどどの国も毎日35℃というのが異常だよね?



まだ静岡の方がマシと思うんだけどずっと素潜り生活は辛すぎ。



それでも自分の部屋はクーラーと扇風機に、
冷蔵庫で冷やしたペンギンちゃんのクールジェルマットを枕にして、
早朝は寒すぎるので布団を抱きしめて寝るのが何よりも心地がいい。



ほぼ私の部屋から出ないのが一番安全とはわかっていたけど、
自然がその答えを教えてくれていると思う部分もあって、
今私がどう動くべきかの答えを出してくれたような気がするよ。



大好きな東京が37℃とか39℃とか報道されていて、
もう当分東京には帰れないなと思ったよ。


どちらかというと東京の気質に近いので、
東京が自分の故郷っていう感覚はあるよ。



なので東京で初めて過ごした日こそ寂しかったけど、
次の日はすっかり環境に慣れしまっていたよ。



私はどちらかというと渋谷・原宿・新宿よりも、
明治神宮や青山・銀座の方が大好きで原宿に群がる人だかりをちょっと軽蔑していたの。



特に都バスに乗っている時に素敵だなと思うお店などを見つけては、
おしゃれな服や雑貨や便利な家電を見つけるのが楽しかったの。



だからかえって東京駅の銀の鈴というのがわからなくて、
サラリーマンに聞いてもほとんどの人がわからない。



だってもっとわかりやすい目印がたくさんあるし、
銀の鈴に行ってみるとシルバーの色でしょ?



周りの風景に埋もれて全然目立たない。



そのすぐ近くにあるPCルームは全く知らなかったけど、
すぐにまた見つけることができて今度行ってみたいなと思ったよ。



東京に行くのなら涼しくなってくる10月以降かな?


行きたい美容院が銀座にあってクーポンなしで2000円で、
クーポンを使うと1000円でカットしてくれるの。



あとで知ったんだけどこの美容院は銀座で1・2位を争う人気店だったの。



その一方で静岡なんか5000円払って、
イメージをしっつかりと伝えてカットしてもらっても、
泣きたいくらいダサダサのヘアスタイルにされて、
とてもプロがカットしたとは思えないひどさ。



さすが世界の三大ファッション都市の東京だなと思ったよ。



なのでデザイン性が高くてもリーズナブルなものがあふれていた。


それでも最近はおとなしい系の服ばかりで、
すごく寂しくなってくるよ。


安くてかわいいなと思うのはナイロン100%だったりで、
外国製品がほとんどの場合が多いんだけど、
最近は韓国製の方がずっとカッコよくて、
何も考えないで直感とクオリティーで選ぶと韓国製だったりする。



この価格でこのクオリティーなら全然OK!というのが、
韓国製品だったりPCは性能の良さを知って以来、
ずっと中国のメーカーのPCを使い続けている。



意外にも日本ではずっと一番信頼されてきたパナソニックが、
 どの製品を使ってもすぐに壊れてしまい怒りが込み上げてきたけど、
そのうちパナソニックは電化製品部門から撤退していた。



きっと苦情が相次いだのだろうと思ったし、
やっぱりなと思うけど日本の誇る電気製品メーカーが、
こんな風に衰退してしまったのかと思うと、
繊細で器用な日本の技術が死んでしまったように感じられて、
とても悲しくなってくるけどある意味今の方が遊びが加わり、
カラーバリエーションも増えて昔より芸術性が高いものが増えて来たなと思う。


カメラも以前は黒かシルバーばかりだったけど、
長年愛用してきたデジカメはレッドだし、
パソコンもワインレッドやブルーなどが出ていて、
今度はこれを買いたいなと空想を膨らませてはニンマリするPIKOでっす!

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