11月ももうすぐ終わりと思うとビックリですが、
何かとお別れが重なった1年になりました。
唯一相談に乗ってくれたりブログを読んでくれていた同級生に、
一方的に絶交を言い渡されるわ超横暴な父だけは、
結婚式に呼ぶことはできないという決断をせざるを得ないと言う判断をくだすしかないし、
入信以来ずっと私を中継や書籍等で生きる希望を与えてくださった、
創価学会の池田大作会長が老衰のため亡くなり、
明日24日に清水の会館での会員葬に参加します。
最後までまじかでお会いすることはかないませんでしたが、
他の学会員のように神仏視するような事はありませんでした。
その割には池田会長の訃報が一般紙より対応が遅く、
地元の学会員からは4日ほど全く連絡がなくおかしいなと思ったら、
その翌日に1枚の紙が入っていて会員葬の場所と時間が書いてあるだけ。
今日が初日でしたが待ち合わせ等の連絡は全くないない。
また地元の学会員は私がハードロック好きな性格を出せば出すほど、
またひとりまたひとりと私から去って行った。
選挙のお願いに自宅を訪ねてくる事も今年はしてこなかった。
むしろ一般の人の方が社会にもまれてこうすべきだとよくわかっているくらいだ。
学会員の中には一般の企業でやったらクビだと思う事も、
学会員同士の間では暗黙の了解で成り立っている。
池田会長は素晴らしい素晴らしいと言いながら、
池田会長が教えたばかりの事すら実践しようとしない。
何のために新聞を読んでいるのか、
何十年新聞を読んできたのかと疑問視するほど、
当たり前と思う事を理解しようともしないし実践しようともしない。
池田会長を神仏視している割には、
ちょっと失敗したりするとほとんどの会員は、
さも面白そうに大笑いする事は珍しくない。
わりかさし日本人はそういうものに面白さを感じる人が多いと感じる。
私の父は特にその傾向が強くノーベル賞をとる人でさえも、
あごで指しては「こいつ馬鹿だよな」とお楽しそうに笑い、
みんなもそうだろと言わんばかりにこちらを見るが、
家族はみんな無言で無視するのに必死だった。
女性の場合は自分より幸せそうに映る女性をものすごい恨む。
一方的に絶交をしてきた友達は二度と連絡するな!とチャットしてきたけど、
おとなしく引き下がる私ではないので遠慮しながら言い返すと、
更にもっと憎しみを込めたコメントをお送りつけてきて、
一生清水(私の地元)に戻って来るな!とものすごかったけど、
市長でもないくせにと思うとアホらしくなった。
夫(ボーイフレンド)が優しくてイケメンでとなると、
怒りや憎しみのすべてを私にぶつけてくるのはどこも一緒だけどね。
さて私が思う学会員の印象の続きですが、
私をはじめ積極的に活動をしたがらない会員の中には、
なぜ同じことを繰り返し新聞に書くのか疑問を持つ人もいた。
要するにそれすらできないから偉大と言わんばかりだろう。
会合等で意見を求められたので、
もっと池田会長の書籍も勉強したいというと、
いつも私の意見は無視される。
結局聖教新聞は書籍等もっと高い教えを理解するための入門書でしかない。
何十年も読み続けるべきバイブルでは決してないと感じる。
ただ日蓮大聖人が弟子に宛てたお手紙や指導書「御書」や、
法華経を深く学習する「教学」は学べば学ぶほどおもしろく、
今いろいろな学者が動画やテレビで解説しているのを見るたびに、
700年以上前にこの事をわかっていた日蓮大聖人のすごさがわかった。
結局は自分らしく生きる事がこの法で最も重要な事だと感じた。
ハードロックが大好きで何が悪いっ!
会合よりダンスを優先して何が悪いっ!
時間はすごくかかったけどこの仏法と出会い、
池田会長と出会えた縁に感謝です。
突然の事だったのでやはり池田会長という、
人生の師を失い想像以上に気持ちが沈んでしまいましたが、
池田会長や戸田前創価学会会長を知れば知るほど、
本当の宗教者は優しければいいというものでは決してないと思った。
まだまだ読めていない池田会長の書籍や御書講義集がたくさんあるので、
池田会長の息吹を感じながら少しずつ読んでいきたいと思います。
聖教新聞とはまるで違ってかなり高度な内容で、
それなりの知識がないとついていくのが大変ですが、
宇宙や自然についての番組が好きな方はおもしろいと思います。